休学中の北大生が、半生をぼやくように殴り書いてみた

1994年、千葉県千葉市に生まれる。

 

小学校2年生の時、友達の付き添いで

バスケのクラブに体験にいき、

なんとなくでバスケを始める。

 

練習が辛すぎて最初は

ほとんど行かなかったけれど、

小3のとある時期からちゃんといきだす。

 

その後は、中学、高校とバスケ一筋。

高校では勉強も頑張って、

高校2年生までは学年テストで上位10位をキープ。

密かに推薦で大学に行くことも考えていた。

しかし、高3の5月(たぶん)のテストと

部活の最後の大会の時期が被り、

テスト勉強を妥協とともに、推薦を諦める。

 

高3の5月にバスケ部を引退。

そこからは、特に考えなしに

地元の千葉大学を目指して受験勉強が本格的に始まる。

通っていた予備校のセミナー?により、

1日15時間勉強する猛烈受験生に。

 

徐々に成績が伸びる中で、

浪人して受験勉強をやりつくしたい想いが

11月頃からもやもやと発する。

気づけば、浪人で頑張ればいいやなんて思い始めて、

12月あたりからはペースダウン。

 

結局、大学はすべて不合格。

千葉大東京理科大、MARCH。

そして滑り止めの芝浦工大

 

予備校を変えて、浪人生活スタート。

別に興味はなかったけれど、

限界への挑戦、出来る限りの高みを目指して、

千葉大医学部を第一志望に。

ちなみに、医者にはなる気はなかったし、

今でもなりたくないです。

 

浪人中も1日15時間勉強。

6月には、人生初の坊主頭に。

周りから「どうした村山?」なんて言われた。

 

そんな怒涛の浪人受験。

11月の代ゼミの早稲田プレ、

学部内で英語は全国1位に。

300人中とかだったけれどw

でも理系全体1200人ぐらい?の中でも6位とか。

ここがピークだったかな。

 

でも、現役と同じ過ちは犯さない。

 

ペースを落とさずセンター試験へ。

しかし、ベストを発揮できず、

また、苦手な国語などの克服もできず、

結局は医学部受験への最低ラインに届かず。

 

僕は国立はいいかなと思ったけれど、

予備校の先生と親の勧めで国立志望を見直す。

旧帝大東工大の問題をざっくり解いて、

北海道大学に行くことを決意。

正直やり切った感はあったので、

あとは行けるところに行こうと思っていた。

 

そんなこんなで、北大には無事合格。

北海道札幌での一人暮らしが始まる。

 

浪人受験で燃え尽きたのか、

メリハリのない日々が始める。

 

北大は総合理系といって、1学年終了時に

成績に応じて学部を選ぶシステム。

人気のない理学部数学科に行くつもりだった僕は、

勉強に対して身が入っていなかった。

大谷が先発するvs中日戦を札幌ドームに

見に行くために、授業をさぼったこともあった。

 

単位を取るためだけの授業を受け

大学のバスケサークルと、

社会人チームのバスケサークルに所属

 

そういえば、札幌に来る前は

大学のバスケ部の所属するつもりだったけれど、

一人ぐらししながらは厳しそうなのでやめた。

この時点で、僕は燃え尽きていたのかもしれない。

 

1学年終了時、就職への漠然な不安から、

就職率をみて工学部環境社会工学科へ進学。

 

2年生になってからは、

サークルの知人と、その友達との3人で

いつも一緒に行動していた。

 

しかし、勉強に身が入らない僕は

そこでもダラダラと過ごしてしまう。

こんなんでいいのか、と思うようになり、   

「何のために生きてるんだ」と激しく自問自答するようになる。

 

そういえば、1年生の始めから、

クラスで最初に仲良くなった北海道出身の人に

アルバイトを紹介してもらったのだが、

そこで真剣に取り組みたいと思い、

2年生終わりの冬、社会人バスケを辞める。

ちなみに、バスケサークルは夏ごろに辞めた。

 

それと同時に、巷で噂の

ネットビジネスにTwitterで出会う。

「みんながやたらと批判するけれど、

ちゃんと自分の目でなにがいけないのか知ってみたい」

とねんな動機でネットビジネス団体に加入。

お決まりのマルチ商法で、30万円を支払う。

 

後から聞いた話だが、

自らDMしてくる人は珍しいようだ。

 

秋ごろまではバイト三昧であったが、

そこからネットビジネスに本格的に時間を費やす。

空いている時間はほぼ使っていただろう。

そこからおよそ3か月後、初めての収益として1万円。

もやもやもあったが、なんだかんだで、

自力で初めて得た収益は嬉しかった。

 

そして、小さい額ではあるが、

稼ぐ仕組みはおおよそ理解できた。

そこから先の展開も話は聞いていて、

難しことではないとは思った。

 

さて、ここから、

マルチの勧誘も始めることになるが、

結果的に誰一人として勧誘できなかったことが

今となっては良かったなと思っている。

その話は、また別に機会にしよう。

 

その当時はまたしばらくネットビジネスを続けるつもりでいた。

そのため、大学4年生の一年間の休学を決意。

親には理解してもらえなかったが、

今は大学に行く気にならないと、強引に押し切った。

 

その後、バイトとネットビジネスを並行していくが、

バイトの方が楽しく、ビジネスは次第に放置

5月頃から、幽霊部員状態となり、そのまま離脱。

今となっては、やはり不信感がぬぐえなかったのだろう。

30万円に対して稼いだ額は1万円だが、

学んだことは十分にある。

始めたことも、やめたことも、

全く後悔はしていない。

価値のある経験かどうかはこれからだろう。

 

 

さて、まもなく

休学期間が終わろうとしている。

 

「好きなことを仕事に」なんて流行りがある。

素晴らしいことだ。だが、

僕はぱっと思いつく好きはももクロ

仕事にするのは難しい。

 

ブログを書いているが、どうも続かない。

たぶん、乗れば続く気はしているから、

気長に頑張る。

 

興味があるというか、世の中の不満としては

教育や勉強の在り方だ。

受験だけじゃなくて、学校の勉強や、

学歴社会、大学の在り方とか。

色々、"学び"に対しておかしくなっているように思う。

 

"学ぶこと"は楽しいことだと思うが、

その対象は人それぞれ。

それぞれが好きなことを学び、

それを仕事にできる世の中だったらいいなって思う。

 

じゃあ、僕が好きなことは?

僕が学びたいことは?

 

ずっとぼんやりしている。

きっと、専門知識よりも、

哲学とか、教育とか、

漠然としたことを考えるのが好きなのだろう。

 

ただ、専門性がないことにおいて、

仕事にしていくのは難しいのではと思い、

地道にプログラミングを学んでいる。

自分でコードを打ち込んで何か動きがあると

「おーすごい、なるほど」ぐらいには思うが、

楽しいかと言われたら微妙だ。

 

ブログを書くことは好きだけど、

ちゃんとテーマを持たなきゃと思うと

どうも書き進められない。

言い訳だ。

 

ただ、そのテーマについて、

「テーマは単語ではなく、読者の心をどうしたいのかを考えるとよい」

みたいな内容のツイートを拝見した。

 

「読者に伝いたいこと、過去の自分に伝えたいこと」

なんて、縛りすぎないテーマなら書けそうな気もする。

今は、誰かにSOSを求めて書いている。ような気がする。

 

とりあえずは、

- 自分なりにあるべきだと思う教育の形

- 1日15時間勉強の中でのノウハウとか

- 大学の在り方

- 自分の哲学

なんて思いついたことを、

殴り書くようにしてみようかな。

意識しすぎると書けなくなるから、

勢いで言った方がよさそう。

リライトはするけどね。

 

ももクロの魅力を共感したいけれど、

それは別のアカウントにしようかな。

それが軸になっても面白いかな、

 

路頭に迷ってはいるけれど、

希望がないわけではない。

 

楽しくいきたいし、

希望のある未来に進んでいきたい。

 

さて。これから何をしようかな。