モノノフが考える「ファンって何だろう」

僕はモノノフです。
みなさんご存知ですか、モノノフ。

武士のこと?
半分正解です。

ももいろクローバーZ(以下、ももクロ)のファンのことを、モノノフと言います。
ざっくりですが、アイドル戦国時代を勝ち抜くといったあたりが由来となっています。
ももクロなのでモモノフだと思われがちですが、"モノノフ"です。

 

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さて。時たまに、
「モノノフとはなんだろう」と考えることがあります。

先日、Twitterにてはあちゅう氏(@ha_chu)が「私は金を使ってくれない人はファンとは言わないと思う。」と発言していて、ファンとは何かを考えるようになりました。

 

結論としては、立場によって考え方は異なるでしょう。その立場とは、職種から環境、応援する側とされる側、多様に考えられます。
ここからは、応援される側を"タレント"という言葉で表していきます。

はあちゅう氏にように、セルフマーケティングをしながらクリエイティブな仕事をしている立場であれば、支援してくれる人の存在が必要不可欠です。
確かに、クラウドファンディングVALUなどのサービスで資金集めはできますが、イベントの度に、本を出す度に、支援を求めることは難しい。タレントとして持続的な活動のための資金調達をするには向いていない。作家として活動し続けるには、確かにファンからの経済的支援が必要でしょう。

 

では、僕にとって身近なももクロではいかがでしょうか。
我々アイドルヲタクは、ライブや握手会といった"現場"を最重要視する人が多いです。ももクロは握手会はありませんが、ライブやトークイベントなどがあり、やはりライブが最大の現場になるのです。
そこで面白いのは、「在宅ノフ」と言って、セットリストを追いながらライブを楽しむモノノフがいるのです。都合上ライブ会場に向かえない人もいますが、もとからライフ会場に行かない人もいるのです。

さて。在宅ノフはファンではないのでしょうか。
もちろん、後からDVDを買ったり、セットリストを追いかけるための音源を既に買っていたりすることもあるので、一概には言えないです。
ただ、(意図的に)ライブ会場に足を運ばないことによって、ファンとしての優劣はついてしまうのでしょうか。
そう考えた時、これはタレントがももクロであるが故、もしくはアイドルであるが故にかもしれませんが、タレントとファンを繋ぐものは経済的支援の有無ではないと思えます。少なくとも一個人として、エンターテイメントを楽しむためにお金を払ってはいますが、「お金を払っているから自分はモノノフだ!」なんて認識は全くないです。事務所所属のタレントですので、彼女たちがライブの運営費などを考えていないがためにそういった部分が意識されていないところはあるかもしれません。場所に限らず、いや、むしろ遠い場所からでもライブを楽しむなんて、彼女たちを応援する気持ちはきっと強いはずです。

 

ファンには無料のものではなくお金を払って欲しいという考え方には賛同します。無料のトークイベントだけに参加したり、違法アップロードの動画を見るだけではなく、有料イベントでも参加したり、CDやDVDをちゃんと買ったりするべきです。

ただ、タレントとファンを繋ぐ関係は、作品やアイデア、想いであって、経済的支援だけで繋がっているわけではないはずです。ファン目線であっても「お金を払っているから自分はファンだ」という基準は持たないでしょうし、タレント目線でも「お金を払っていないからあなたはファンじゃないです」なんて思う人は少ないのではないでしょうか。仮にタレント目線で「お金を払ってくれる人こそ真のファン」という人もいるかもしれません。序盤で述べたように立場でファンの在り方への考えは変わるでしょうし、それ自体が悪いことではないです。ただ、そういった場合にはついてくるファン層も限られてしまうでしょう。

ただ、芸能人にたまたま会ったときにすぐさま「ファンなんです!」という人は、「好き」という想いをファンという言葉に置き換えているところはある気もしますが(笑)

 

時として、ファンはタレントの想いに応えることも必要でしょう。
有安杏果さん(元ももいろクローバーZ、緑色)の日本武道館でのソロコンでは、いちアーティストとして演出を考えてきた上で、緑のペンライトを消して欲しいとお願いすることがありました。事前にLINE LIVEで呼びかけたために、開演時の緑色は1割程度。その後に本人の口から再度お願いされて、緑の灯りは消えていました。
こういった体験を踏まえると、ファンとはタレントと一緒に作品を作る存在なのかもしれません。有安杏果さんの場合は、音楽だけでなくコンサートそのものが作品であって、それはもう素晴らしいものでした。はあちゅう氏の場合も、作家として活動する中でのイベントや本の出版などでファンによる協力、それはSNSで彼女の存在を伝え広げることもそうですし、やはり経済的支援も必要でしょう。

 

こうしてブログに書き上げることで、自分の中でのファンというもののあり方が見えてきたようです。

タレントとファンを繋ぐものは決してお金ではない。ただ、経済的支援は結果論として存在する。お金は繋がりの形を変えたものに過ぎなくて、お金自体でタレントとファンは繋がっていません。
ファンはタレントの鏡なんてよく言われますが、その通りです。ファンのあり方で世間から見たタレントの存在も変わってきます。ファンとはタレントの一環なのかもしれません。
そして先ほど述べた通り、想いを持ったり、楽しませてもらったりするだけでなく、タレントが作りたいと思う作品を一緒に作り上げていく存在として、時としてサポートしていくことも大事です。

一言ではまとめきれませんが、僕が考えるファンとはこういった存在です。

 

「ファン」を定義するのであれば、

タレントの想いや作品を叶える存在といったところでしょうか。