「ももクロは全力じゃなくなった」なんて言わせない

ももクロは全力じゃなくなった」

「昔の勢いがなくなった」

そんなコメントをよく見る。

 

僕はモノノフ(=ももクロファン)歴7年目になるが、そんなことは決して思わない。今でも、ももクロは全力であり続けると、胸を張って言える。

 

 

 

 

ももクロのデビュー当時、テレビなどでももクロにハマる人の声を聴くと、

「全力なパフォーマンスに心を打たれた」という意見が多かったように思える。

街頭アンケートをマスメディアで発表すれば、偏りのある結果しかこちらには見えてこないだろう。しかし、全ての意見出なかったとしても、大半は"全力"という表現にとどまっていたこともきっと事実であろう。

 

さて、その当時、僕がもし同じ質問を受けていたら、なんて考えていたのだが、「全力」という言葉だけでの表現することにはわだかまりがあった。

確かに、彼女たちは(今もだが)全力であった。清きアイドル、というよりは、部活のような泥臭さを感じさせるダンスや歌であった。よく言えば、青春というやつだろう。ただ、そんな激しい歌やダンスだけでアイドル界の天下を取れるほどに甘い世界ではないだろう。

 

彼女たちの全力は、少し意味が違う。

彼女たちが全力であったのは、パフォーマンスに限らず、「心からファン(=モノノフ)を大切にする想い」であっただろう。

 

他のアーティストも同様だろうが、ライブの終わりにはメンバーの挨拶がある。2017年の春の一大事の一日目のあいさつで、百田は嬉しさの余りに目を潤わせてしまった。(僕は二日目に参戦。Twitterで話を聞き、DVDにて確認。)涙を流すことが全てではない。だが、モノノフであれば、彼女たちの言葉、想いは、嘘偽りない愛に溢れた言葉だと分かっているはずだ。彼女たちが真に胸を張って発する言葉を、僕らは信じてきた。全力な想いは、いつまでも色褪せない。そんなももクロ「全力でなくなった」と勘違いされてしまうのはなぜだろうか。

 

 

以前は、想い表現するだけのスキルもなく、歌詞の意味を十分にくみ取れないこともあり、彼女たちにできることが限られていた。その中で彼女たちができた全力が、言うなれば、がむしゃらな歌とダンスであったのだ。ただ、彼女たち本人がそれをウリにしていたわけではないだろう。彼女たちからしたら、そういった全力パフォーマンスは当たり前だったわけだ。そして、多くの人の"全力"に対する誤解は、目に見える部分に全力を感じてしまったためだろう。しかし、その表面的に思えた全力は、ココロの奥底から、必然として生まれたものだったに違いない。

そして今は、歌とダンスにおける表現力としてのスキル、さらには歌詞に乗せられた想いを理解できるようになったことで、全力の形が変わった。勢いでのし上がってきた彼女たちが、今となっては、全力な想いの伝え方の幅をげているのである。

 

 

ももクロのようなアイドルに限らず、全盛期というものは、一番人気がある時期とはされない。ファンからしても、そして世間からしても、最も人気が加速している状態こそ、最も勢いを感じ、全盛期とされがちである。こういった考え方がおかしいわけではない。ただ、勢いがピークよ小さくなる、つまりは加速度が最大でなくなると、全盛期が終わってしまうわけではない。そこからでも、ももクロはファンを増やし続けている。もちろん、ももクロへの興味がなくなったり、他のアイドルファンへと移り変わったりと、ももクロから他界する人もいる。しかし、その最大加速度を超えた後に、ももクロはアーティストとしての実力も兼ね備え、確実に高みへと進んでいるのだ。

 

今のももクロは、真のアイドルとして相応しい真っすぐな気持ちを失わずに、その想いを伝えるためにスキルを身に付けた。確かに、以前ほどの激しいダンスとは違う。でも、僕は思う。がむしゃらだけが全力ではない。伝える想いが全力である限り、ももクロは全力少女であり続ける。それは、ももクロの楽曲にも現れていて、以前のような勢いと情熱に溢れた曲に比べ、近年は深みのある歌詞が多くなった。しかし、それでも、無印時代("Z"が付く前の「ももいろクローバー」のころ)、そしてZへと進化を遂げてからの勢いのある楽曲もライブで披露している。ファンの期待に応えるためでもあるだろうが、彼女たちがその歌を歌う意義があると運営側も考えているのだろう。ももクロはまだまだ進化し、もっと加速していく。

 

ももクロは今日も全力だ。