人生でもっとも辛い思いを喫した高校バスケの思い出話

僕がまだ高校1年生でバスケ部だったころの話。

夏に3年生が引退して世代が変わり、1・2年生のチームとなる。秋の新人戦は、そのチームにとっては初めての大きな大会となる。スタメン5人の中に僕は入ることはできなかったが、シックスマンとして、毎試合出番を得ていた。

新人戦は、本選のトーナメント上位2チーム、敗者復活トーナメント上位2チームが県大会へと駒を進める。地区レベルではあるがそれなりに強かった一つ上の世代とはうって変わり、僕らは本選での初戦敗退、そして敗者復活でも初戦敗退を喫しようとしていた。

 

前半の20分を終えて20点差でビハインド。高校バスケでは、お互いのチームが70点前後で最終スコアを迎えることが大半である。前半で20点負けていれば、そこからの逆転は非常に難しい。NBAなどでは戦略で良く跳ね返るが、地区レベルの高校バスケでは、20点差はただただ実力差であり、そこからの逆転劇は滅多に起こらないのだ。

前半に引き続き、後半に入っても僕はコートに立っていた。そして、それまでは背が高いだけで特別に何かをできるわけではなかった選手が、残りの20分で覚醒した。184㎝70kgの平凡な身体にもかかわらず、ゴール下を支配し始めた。跳躍力は決してないが、リバウンドに必死に食らいつき、ゴール付近でボールを持てば、相手を押し倒す勢いで強引にゴール下へと割って入る、その身体からは予想できないパワープレーを繰り出した。そして見事、後半終了時にはスコアを同点として、延長戦へと繋いだのだ。

僕らも、会場のみんなも、逆転劇を予想していただろう。延長に入っても、相手は一人の選手を止められなかった。力強いドリブルと競り合いで、相手選手を押し切って尻もちをつかせた。しかし、相手チームも負けじと得点を重ね、シーソーゲームとなった。残り1分を切ったぐらいだっただろうか。僕らのチームは1点差で勝ち越す。残り30秒、監督はディフェンスの機動力を考えたのだろう、僕をベンチに下げた。間違った判断では決してない。バスケの試合では、試合の残り時間が誰からもわかるようになっていて、残り10秒ぐらいからカウントダウンが始まることがある。雰囲気もあるが、選手に時間を伝えるためでもある。僕も、タイマーが見える位置に移動して声を張り上げた。

残り8秒、相手側のゴール近くで、相手チームのスローインとなった。なぜだろう、この時間だけは明確に覚えている。その時、監督は僕を読んだ。ディフェンスリバウンドを確実にするためだったのだろう。しかし、その時に僕はベンチを離れてタイマーカウントを見ていたため、交代に間に合わなかった。相手のスローインボールは相手チームに渡り、最後の攻防となる。緊張が張り詰めていたが、20点差を追いついた勢い、そして残り8秒で点を取らないといけない相手の立場を考えたら、誰しもが僕らの価値を思っていただろう。負けるなんて思っていなかっただろう。しかし、結果は残酷だった、残り1秒、相手の左サイドの0度にいた選手が放った苦し紛れのミドルシュートは、ブザーと同時にリングへと吸い込まれてしまったのだ。1点差で、逆転負けとなってしまったのだ。

 

試合後、生きてて味わったことのないほどに、放心状態となった。悔しいとか、辛いとか、そんな感情ではない。いや、無意識のうちにそういった感情はあったかもしれないが、抜け殻のように気持ちを失ってしまったことを、今でも覚えている。

小学2年生からバスケをやってきた。辛い練習はあったが、それを理由に辞めようと思ったことはなかった。辛くても、勝ちたい気持ちが好きだった。バスケが大好きだった。しかし、この試合を終えて、始めてバスケに対して嫌になった。バスケそのものはそれでも好きだったが、これほどに辛い思いをすることがあるのであれば、バスケを辞めようとさえ思えた。しかし、時間が経てば、悔しさを感じ、そして受け止め、次は勝ちたいという想いが強まっていった。結果として、その世代は、春・夏の大会で県ベスト16という快挙を成し遂げるほどに化けることとなった。最初にベスト16を達成した瞬間、あれほど興奮することも滅多にあるものではないだろう。

 

負ければ悔しいし、勝てば嬉しい。好きなことほど、そのふり幅は大きくなる。好きなことだから放心状態にまで陥ったし、好きなことだから乗り越えられた。辛いことを乗り越えたら必ず良いことがある、なんて美徳は思わない。しかし、好きなことに全力を尽くすことは、色々な感情を経験させてくれる。部活じゃなくてもいい、学校じゃなくてもいい。好きなこと、やりたいことをとことんやる。うまくいったとき、いかなかったとき、その技術的な経験も、如何なる感情も、人をより強くしてくれる。バスケを好きになれて、僕は心から良かった。次は何にハマろうか。