「なぜ生きるのか。」を考えることに意味はあるのか。
「自分は何のために生きてるんだろう」
この疑問を抱いたことのある人は、
意外と少なくないだろう。
僕も、確か、高校生の頃から、
この質問を僕自身に投げかけている。
そして、その一方で、
この問いに対する一つの考え方もある。
おそらく、この問いの答えは、
死ぬ瞬間まで見つからないだろう。
もしくは、その瞬間でさえ、
満足のいく答えは生まれてこないだろう。
すなわち、今、どれだけ考えても、
この答えにはたどり着けないのである。
さて、今見つけることのできない疑問の答えを、今探し求めることは、果たして無意味だろうか。
結論から言えば、
僕の見解は、NOである。
おそらく、この答えそのものに
大した意味はない。
…ような気がしている。
だが、生きる理由を考えて言動をとることは、
最善の生き方を導いてくれるのではないだろうか。
悔いのない選択を取れる、とでも言おう。
生きる意味を模索することで、
言動を大切にすることができる。
これこそが、
「なぜ生きるのか。」を考えることの最大の意義であり、
だから僕は、これからも、
生きる理由を考え続ける。