受験をする前によく考えてほしい

大学に行くということは、

人生の選択肢の一つに過ぎない。


このことを受け入れたうえで、
みんなには大学受験に臨んでほしい。

これは僕の後悔でもある。
過去の自分に伝えたいことであり、
今後、大学受験を当たり前のように
予定しているみんなにも
声を大にして伝えたい。


あまり使いたくない言葉なのだが、
"普通"に生きていれば、
高校卒業後は大学に進学して、
企業に就職して生活していくのが
当たり前のように思えるだろう。

だが、その"普通"は、
誰かが仕組んだ幻想のレールに過ぎない。
かもしれない。

そして、そんな幻想のレールに乗らなくても
これからは生きていくことができるだろう。
なんでそんな世の中になったのか。

前までは、何かを得るためには、
学ぶ場合も、買い物の場合も、
その場所にいかないといけなかった。

しかし今は、インターネットのおかげで
場所を選ばず手に入るものがほとんどとなった。
もちろん、リアルでないと
得られない体験やモノもあるが、
少なくとも、学ぶために大学に行く必要は
前よりも格段に小さくなった。


そして、仕事を貰うためには
自分ができることをアピールしないといけないが、
就活の面接に限られることはなくなった。
インターネットがあれば、
誰もがアピールをすることができる。

TwitterでもYouTubeでもブログでも、
自分の得意なことやりたいことを
主張することができる。
営業なんかでも、必ずしも
対面しないといけないわけではなくなった。
Twitterで、プログラミングで作った
アプリやツールを公開していけば、
仕事の話が来るなんてケースをあるぐらいだ。



じゃあ、そんな今日に、
大学に行く意味はもうなくなってしまったのか。

これは、人それぞれであろう。

「大学の〇〇教授の講義を直接受けたい」
となれば、大学に行かなければならない。
つまり、その場でしか得られない知識や体験がある場合だ。
ただ、単純に「~を学びたい」なら、
独学でもできるだろうし、一緒に学ぶ仲間や環境だって
インターネットを通じて見つけることができる。
むしろ、そうして個人で自主的に行動する人の方が、
学びに対して全力で、一緒にいても楽しいだろう。
残念ながら、大学では、少なくとも北大では、
そんな懸命な人はほぼいなかった。
まあ、僕もその一人であったのだが(笑)

それに、少なくとも今はまだ、
学歴社会で世の中ができている部分がある。
確かに、高卒よりも大卒の方が、
低学歴よりも高学歴の方が
企業にとって優秀な人材となる可能性は高いだろう。

だが、それは、その人が優秀だからというよりも、
大卒の方が、高学歴の方が、
"意識が高い"だけ、仕事に対して真面目なのではないだろうか。
もし、違う環境で競わせたら、
例えば、高卒の人や低学歴の人が
得意な分野で競うことになったら、
どちらが優秀かは変わってくる。
誰にも輝けるフィールドがあると、僕は思う。
適材適所、というやつだ。

そして、企業からしたら、
言われたことを受け入れてやってくれる
真面目な社員の方が使い勝手が良い。
頭の良さや優秀さよりも、
労働力としてどれだけ従順であるかの方が
企業にとっては大事なのかもしれない。


別に、今挙げた理由以外にも、
大学に行く意味を見出す人はいるだろう。
目的を持つことは決して悪いことではない。

ただ、その理由は、必ずしも
大学でなければいけないのか。
よく考えてほしい。

大学とは、あくまで手段に過ぎない。
個人の見解には過ぎないけれど、
学びの場としての手段であり、
学歴というステータスを得るための手段。

もし、大学に行かなくても学べるのであれば、
別の環境で学んだ方がいいだろう。
その方が無駄な講義を受けなくて済むし、
大学に限らない多くの人と出会えて、
新しい道が開けるだろう。

もし、学歴というステータスに
価値を見出せないのであれば、
大学なんかにはいかずに、
自分がやりたいことをとことんにやって、
そのスキルを仕事にした方が
人生は楽しいに決まっている。


ただ、どちらも、


人それぞれであることを
再度念押ししておく。


果たして、あなたは本当に大学に行くべきなのか。
無駄な時間を、無駄な人生に送らないために、
目的をもって大学受験に挑んでいただきたい。